EXCEL遊びに懲りマクロ [パソコン]
「運試し」「ZIGSAW」に引き続き、「SLOTTER」をVBAマクロで作った。
一作目の「運試し」にも「SLOTTER」と同じく乱数(Rnd)処理を加えた。
どれも後になってから諸機能を付け加えることになっているが、一時に
完成させるよりも、より勉強になって良いわいとか弁解しているが、
本来は最終的な設計の元に作成すべきなのである。
いや、どうせお遊びを兼ねた勉強なんだから構うものか。
今回の「SLOTTER」もまだ未完成で、SLOTボタンを何度か押して、
"777"と揃ったときに右側に目出たい画像を表示したい。
画像をそのとき出す方法は「ZIGSAW」の手法を使えば出来そうである。
今後、ロト6の01から43までの43個の数字の中から異なる6個を選ぶ
面倒な作業を「SLOTTER」の手法を使ってやってみたいものだ。
もしそれで巨額の賞金を得たなら、それは"まぐれ当たり"というよりも
"マクロ当たり"と言うべきかも。(笑) 夢はデカイほうが良い。
啓蟄(けいちつ) [日記]
啓蟄や亀の親子ぞ淵に居て
三歩人
親子ってことも無いだろうが、いつも見ている川の淵に大きい亀と小さいのだけが居た。
これまでは皆冬眠していたのだが、流石に時に目ざとい亀さんである。
これからは5,60匹いや7、80匹の草亀たちが泳いだり日光浴したりする季節が訪れる。
啓蟄とは本来土中から虫が出てくる節を言うものだが、今のところ虫には出会わない。
虫たちもこれから多く出て来て、特に真夏の蝉の声はうるさいくらいだ。秋には夜半にすだく虫の声に己の人生を思いめぐらし眠れぬときもある。虫どもが賑やかに現れるのは虫が好かない。
亀や虫に引き替え鯉どもは年中泳いでいる。鯉にも恋の季節があり、身体に赤味がさす。4、5月には空を泳ぐ黒、赤、青の鯉さえいる。
私にとっての啓蟄とは、防寒具を脱ぎ、また新調の靴を履いて川辺の道を歩むことから始まり、豊かな自然をを愛し続けることなのだ。
ドジを踏む [日記]
小学3年の孫(♂)に「お前はドジだなあ」なんて言おうものなら猛烈に怒って「もうお爺ちゃんチには来てやらない。」なんて言う。
だが幼児の頃からよくコケたりしていた。デカ頭のせいなら、むしろ頭の良い子だろうなんて楽観していたが、神社の祭りの屋台で売っているアイスクリームや砂糖漬け林檎など落っことしやすいものは注意してやっても決まって落とすのだった。やはりドジなんだろう。
先の日曜日、神戸市の農業公園に孫と出掛けた折、ピラミッド型の展望台に登ろうと、よせば良いのに私から近道を提案して休閑地の田圃の草を踏み込んだ。
途端にズブっとスポーツシューズが泥の中に潜り込んだ。戻ろうとまだ沈んで居ない足を他の草の上に置くと、結局両足を水分の多い泥に取られてしまった。底なし沼に吸い込まれる思いがした。
その時の孫の顔、「やあいお爺ちゃんも相当なドジだなあ」とでも言いたそうな雰囲気だった。
文字通り?土地を踏んだのは私だった。
まあ良いさ、1日1万歩以上も半年以上歩いて使ったスポーツシューズだからそろそろ買い替えようと思っていた矢先なので、新調する決心がついたさ。
だけど孫に私のドジ遺伝子が隔世遺伝している明らかな状況証拠になったのには参ったなあ。
EXCELで運試し [パソコン]
EXCELのマクロ(VBAマクロ)にはまってしまった私。
私たちの高齢者PC仲間ではWORDやEXCELに写真や画像や
クリップアートやワードアートを張り付けることくらいしか、おっと
1年ほど前にはオブジェクト挿入で特殊なことはやったけれど、まだ
マクロ(VBAマクロ)に関しては勉強会を開いていない。
マクロなど取り付き難いと思っていたが、とても簡単だ。
今度の勉強会では不肖私めが講師役を引き受けようと、面白いサンプル
を用意した。
この程度なら何もEXCELで無くても JavaScript をHTMLに
埋め込んでもっと複雑なことが出来、そうしたお遊びコンテンツ類を
これまでに多数作ったものである。(DHTMLと言う。最近ではAjax技法で
もっともっとカッコ良くなる。)
ま、マクロ(VBAマクロ)のお勉強には下記のサンプルを白紙から
作成する手順を解説することで必要十分条件となるであろう。
子供用ソファを大人用に [日記]
子供用の古いソファが使われなくなったので当の子供であった息子が捨てろという。もったいない。
そもそもが黄色の線で囲ってある部分が子供用ソファであり、大人が座ると低過ぎて姿勢を崩し、決して安楽ではない。
赤い線で囲ってある部分はこれまた古いスポンジベッドの1/3のもので、かなり弾力性に富み、子供用ソファを上に載せるだけで何とか高さは通常のソファ並みになった。
子供用ソファの底に厚板を貼り、スポンジベッドにしっかり乗るようにしたが、座っていて立ち上がろうとするとソファが前のめりになって危ない。
そこで、青色で囲った部分、これはただの足というより奥の足と合わせたゲート状のものでソファの底板としっかり固定してある。(勿論左右一対)
重量が懸っていないときはスポンジベッドの弾力が強いので、足は床面を離れて浮かんでいる。その方がスポンジのバネが効くことと、床に傷を着けないメリットがある。
今日は足の製作に空き時間を費やした。金曜日には底板の張り付けを行ったのだが、土日には孫が来ていて邪魔された。(作業から見ての話、孫と遊び呆けてサボったのが本当)
昨日は孫とドライブして日差しが暑いくらいに感じたが、今日は何故か寒かったが、鋸やらネジまわしで格闘していると身体が温まり汗ばむほどだった。
DIY(Do It Yourself)はとてもECOで楽しいものだ。
浅春の散歩道から [日記]
夕方の散歩時に川には雛と思われる小さな鴨が水藻を啄ばんだり、泳いだりしている。勿論親鴨も沢山泳いでいる。鴨の親は雛鳥に餌を与えないので、小さな雛も大人と同じ仕草をするのが頼もしい。
小鷺や青鷺は川の横道を通ると警戒して飛び立って逃げる。さほどの距離でないところにまた舞い降りて浅瀬に立ちすくんでいる。私の進行方向と同じであるとまた繰り返しとなる。
近くに寄っても逃げない小鳥はセグロセキレイである。わづか1mくらいに近付いても尻尾をぴょこぴょこさせて愛らしくしている。ほとんどのセグロセキレイがそうだから不思議だ。
セグロセキレイよハラグロイ人間にもっと警戒心を持たねばならぬと忠告したくなる。
橋の上から川を覗いていた少年が居た。鯉が沢山泳いでいるだけで亀は一匹も居ない。まだ亀たちは冬眠から覚めないのだろう。
夏ならこの場所から貯まりに50匹から100匹の草亀が居てパン屑を投げる人も居てその餌に群をなして寄って来て、鯉と取り合いになる。
自然界の動物に餌をやることはイケナイことらしい。条例で餌やりを禁じている自治体もあるそうだ。食い残した餌が腐って、生息地の環境を悪くするということよりも、自然界の動物自身の独自性を尊ぶということだろうか。子鴨はちゃんとそれをやっている。
そうそう鴨の雛でひな祭りが近いことを思い出した。 2005年に自作の雛段でも出してこよう。
玄関のニューフェイス [日記]
お出かけ時間を確認する時計が狂い出した。
手前のミニ・パソコンで調べる手はあるが、間に合わないので、やはり新しい時計を買うことにした。
ニトリで、わずか999円だった。中国製に決まってらあ。
でも凄いのだ、秒針がこれまでのカツカツ動くのとは異なり、滑るように動く。
更には温度計と湿度計まで付いている。正確なようだ。
第一別の部屋用にサティーで買った800円くらいした温・湿度計なんて不正確なので、返品も面倒なので、また千円くらいのを買い直したくらいだ。
それに比べればこいつは優れものだ。
気を良くしてまたニトリに行ってソファーカバーを探したが店には陳列していなかった。
やたらソファーとかは売りまくっているくせに、店員に聞いてみると特注になるとのことだった。
どうせ安いソファーなら、汚れてもまた買いかえれば良いとでも思っているのだろうか。
腹が立った。時計にカバーしてやろうか。それじゃあ時計の役には立たない。(笑)
救世的税源(提案) [政治]
景気回復の手段だと言って給付金をばらまこうとし、その癖3年後には消費税の率を上げようと考えたのはいずれもアホたれ(アホー太郎と世間で呼んでいる)の浅はかな施策である。
当初は衆議院の解散管理内閣であったはずなのに、選挙の顔として戦おうと口走ったのであろうが、その前に自民党では「たばこ税値上げ」を見送った。これも選挙を意識しての党略だろう。
たばこ税や消費税に目を付ける前に、もっと巨大な税源はある。
公明党と手を組んでいる限りはまず、自民党からは言いだせなかろうが、宗教法人に対する課税強化である。
戦後、雨後の筍のように発生した殆どがインチキな宗教団体でさえ宗教法人税は軽い。
宗教が国民の幸福を求めるという性格のものであればこそ、未曽有の経済危機で喘ぎ苦しむ国民を救うためにも、宗教法人はキチンと(インチキせず)一般の法人並みの税金を払ったらよかろう。経済危機でも倒産?もせずヌクヌク育っているインチキ宗教並びに既存の宗教法人も皆平等に税を払え。
国民の自由と平等の権利の裏には納税の義務が課せられているのだから、宗教法人と言えどもインチキ宗教団体までもが信教の自由が現憲法で保障されている限りは、納税の義務も平等でなければならない。宗教法人法の見直しが必要だ。
もし民主党が政権を自・公から奪った暁には、この策を提言してやりたいものだ。
喝!
アカデミー賞受賞おめでとう [日本の文化]
「おくりびと」滝田洋二郎監督の映画がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
NHK他どのマスコミも日本固有の(納棺士などという)文化を世界が認めたとはしゃいでいる。見なけりゃ日本人に非ずみたいに悪乗りさながらである。
勿論小生だって日本映画の水準が世界に益々通用するようになったことは喜ぶ。
だが、日本固有の文化が世界に通用するようになったとかは思わないし、思いたくない。
日本独自の幅広い文化を世界共通の文化にしたいなどとは思いたくない。
それこそかつての大東和共栄圏的な、日本人の悪い全体主義的な思考法だからである。
独自性、個性を重んじる西洋(特にフランス)文化のように、もっと日本は自らの文化の独自性を重んじ、他は他としての自由を尊重すべきである。
短編アニメ賞部門でも受賞した「つみきのいえ」は手作りっぽい画像で、平凡な老人の生きてきた喜びをほのぼのと回想するストーリーも社会そのものとは別にあくまで個人の個性的な生き方を主題としながらも、かえって人間の在り方としての普遍性を物語り、見る者に癒しにも似た共感を与えている。
両映画のタイトルが「おくりびと」、「つみきのいえ」とひらがなである点にも、中国伝来の漢字を独自にかなを発明し日本の文化とした いにしえびとから伝えられた文化の息吹きすら感じさせられる。
等々偉そうに評論したものの、私はまだそれらの作品を見た訳ではなく、申し訳ないので、昨日、数十年前のアカデミー賞外国語賞受賞作品の「黒いオルフェ」をamazon.co.jpからDVDで買い求めて観たように、今日また「おくりびと」を2845円(税込)で申し込んだ。責任ある鑑賞文を書きまとめたいと思うからである。
蛇足ながら最近では海外でも日本の映画、カラオケ、アニメ、マンガ、まして「かわいい」までもがブームとなっているそうだが、まあこれらも新しい日本独自の文化として育っていくものだとすれば、私とてそれらを頼もしく思うのである。
「もったいない」 [日記]
スーパーマーケットで弁当や寿司を買うとき、割り箸を極力貰わないようにしている。レジ袋だって断ってマイバッグに入れて帰るくらいだから割り箸を貰うのも気がひける。
割り箸の原料は熱帯の森林から切り出された木材であり、地球環境を保護する意味でまずは森林を守る必要がある。
偶に貰ってしまった割り箸は1回使っただけでゴミとして廃棄しないで、洗ってまた使う。
ゴミとして焼かれれば、その分CO2排出量が増える。
割り箸は洗ってすぐにコップなどに突っ込んで立てて置くと、カビが生えて使えなくなる。だから洗ってすぐには枕木(なんでも良い)の上に水平に並べて置いてから、水分が乾いてから仕舞うようにしている。
「もったいない」の精神をこんな些細なことにまで努力しているつもりだ。
だが、これとは反して、我が家にはシガレットライターがごろごろしている。
あるスーパーでたばこを1カートン買うとライター1個とティッシュペーパー1箱呉れるので、ライターが貯まってしまう。
1カートン分たばこを喫っても、ライターにはまだガスが残るので、次から次へとライターが貯まるのだ。
ライターを使い切るまではたばこを喫い続けなければ「もったいない」。
まだ他にもある。